春の日差しと暖かさが王宮内を包み込み、それに合わせて色とりどりの花が咲き乱れる。

どこからともなく蝶が現れ、花の甘い香りに誘われて華麗な羽を羽ばたかせながら舞い降りる。


ヒッタイトの王宮内はいつもと同じように朝の慌しい準備におわれ、
いつもと同じその忙しさがむしろ平和でもあるかのように活気付いていた。

そして、重たい目をこすりながら一人の少女が部屋の扉を開けると、慌しく歩き回っていた侍女達は足を止め、
少女に朝の挨拶をする。

それに少女はにっこりと挨拶を返したが、すぐにその笑みが曇った。

そのことに、侍女達はもしやと勘付きどうしようかと互いの顔を見合わせた。



「王子は・・・?」

やはりと、侍女達は困り顔を見せる。

寂しげでその小さな声に、こちらが胸を締め付けられるような気分を味わいながら視線を少女に合わせると、
少女は悲しげな表情で誰かが答えてくれるのを待っていた。

一番近くにいた侍女が「王子は今御不在です」と答えると、少女の落胆の溜息が聞こえてくる。

慌てて別の侍女達は元気を出してもらおうとあれやこれやと、
いつも好奇心旺盛な少女のためにいろいろと薦めたが、少女は軽く首を横に振るだけだった。


「姫君、仕方ありませんよ。王子は今とてもお忙しいのですから。」

「分かっているわ、だけど・・・。」

華麗な細工を施された櫛が豊かな黄金の髪の上で滑る。
部屋に戻ったキャロルはムーラに髪を結ってもらいながら鏡の中の自分を見ていた。
まるで、幼い子供のように膨れっ面をしている。

「王子はいつ帰ってくるの?」

「今、御視察に行かれていまして・・・いつお戻りになられるか。」


「そうよね・・・。」

予想通りの答えにキャロルは深い溜息を吐いて、手に持っていた鏡を卓に伏せた。

最近のイズミル王子とキャロルはすれ違いばかりの生活を送っていた。

イズミル王子の忙しさを知ってはいたものの、前よりも酷くなっている。
やっとキャロルとの時間が取れたとしてもすぐに兵士やら侍女やらがイズミル王子を呼びに来て、部屋を後にする。
無論、その後戻ってくることはない。

イズミル王子が帰ってくるまで眠気を我慢しながら起きて待ってはいるものの、
やがて睡魔に負けてそのまま眠りに落ちてしまう。

時折寝返りを打って、人の温もりを感じることはあるものの、
それがイズミル王子だと分かってはいてもまるで夢幻のように思えた。

そして、朝目覚めるとまるで最初から誰もいなかったかのように温もりは消え失せり、一人の朝を迎える。

 

 

昼、太陽は大空の上に昇り燦々と暖かい日差しを地に降り注いでいた。

慌しい時間は過ぎ去り、王宮内にはゆったりとした時間が流れる。


「そういえば!!」

部屋で大人しく過ごしていたキャロルは突如、何か思い出したかのように顔をパッと上げた。

ガタンと椅子から立ち上がると、衣装の裾を持ち上げパタパタと足音を慣らしながら部屋を飛び出す。

 

「姫、帰ったぞ。」

おもいのほか、早く王宮へ戻ることが出来たイズミル王子は久しぶりに日中をキャロルと過ごそうと部屋を訪れた。
だが、部屋の中にはキャロルの姿はなくイズミル王子の眉がピクリと顰められる。

「まあ、王子。お早いお帰りで。」

「ムーラ、どうしたことぞ。姫が部屋におらぬぞ。」

「は・・・?あら・・・先ほどまでお部屋にいらしたはずなんですが。これ、そなた達、姫君をお見かけせなんだか?」

「いいえ、見ておりません、ムーラ様。」
「まさか何者かが姫君を!早く姫君をお捜しするのです!」


「あの・・・宜しいでしょうか?」


侍女達がいっせいにちらばりかけていたその時、王宮に勤めてまだ間もない若い兵士が遠慮がちに声を掛けた。

「ナイルの姫君なら、無事ですが・・・あの・・・。」

兵士は視線をそらして、言葉を詰まらせた。

そして、すぐさまキャロルのところへ駆けつけると、キャロルは木にもたれ木陰ですやすやと眠っていた。

葉の隙間から零れ落ちる太陽の光がキャロルの黄金の髪を僅かに照らし、
その無防備な寝顔が愛らしく微笑まずにはいられない。

「まあまあ、このようなところでお眠りになられるとは。すぐに姫君をお部屋へ。」


「良い・・・そなた達は下がれ。」


「畏まりました。」

視線をこちらには向けず、優しい笑みをキャロルのみに向けているイズミル王子に侍女達は
にっこりと下がっていった。


「姫・・・。こんなところでうたた寝をしていると、風邪をひくぞ・・・。」


「んー・・・おう・・・じ・・・?」

「さあ、部屋に戻ろう。」


「王子・・・だ・・・・・・。」

「姫、寝ぼけておるのか?」

トンと心地よい重みが己にぶつかってきた。
普段自分から抱きついてくることのないキャロルがギュッとイズミル王子の腕の中に入り、
細い腕を背中に回している。


「わたしね、ずっと・・・・・・。」

そう呟いたかと思うと、またキャロルは眠りへと誘われていった。

キャロルの言葉の続きは・・・。


わたしの帰りを待っていてくれたのか・・・?ここであれば、わたしが帰ってきたことを確認できるから・・・。

キャロルが眠っていた場所は王宮門からすぐ側の木陰であった。
木の周りは程よい緑が茂り、身を隠すにはちょうどよい場所だった。


「愛しいわたしの姫よ・・・・・・。」

イズミル王子は嬉しさのあまり寝息を立てるキャロルを抱き寄せる。


だが、若い兵士はその様子に罰が悪そうな顔をしていた。

 

うたた寝






「ここ・・・わたしの部屋・・・?いつの間に・・・。」


ぼうっとした思考でキャロルは身体を起こし、しばらくそのまま動かなかった。
しかし、扉の向こうから聞こえた侍女の一言でキャロルは嬉しそうに寝台から飛び降りると
すぐさま部屋を飛び出した。

ちょうどキャロルが目覚める頃であろうと部屋に向かっていたイズミル王子は、
部屋からいきなり飛び出して回廊を走っていくキャロルを訝しげな顔をしながら見ていた。

 

「・・・・・・姫・・・わたしの相手をしてくれぬのか・・・?」

「今、いいところなんだから後にして!」
目の前の光景にムーラはどうしたのかと驚き顔を見せ、そして後ろに視線を向けると気まずいのか、
僅かに下を向く先ほどの兵士の姿があった。


「・・・・・・姫君は王子のお帰りを待たれるためにあのような場所にいたのではないのか?」


「いえ・・・実は・・・。」

 

『姫君、そのようなところで何を!?』
『しっ!』

王宮門近くの警備にあたっていたその兵士は、
茂みの中に隠れようとしているキャロルの姿を見つけ思わず声を掛けた。

『このような場所にお隠れになられるとは、どうかなさったのですか?』

『ここなら門を出入りしている人達を見ることが出来るでしょ?』

『・・・もしや、イズミル王子がお戻りになられるまで、そこでお待ちになられるのですか?』

『う~ん・・・まあ・・・それもあることはあるけど・・・だけど王子、いつ戻るか分からないし。』

『そうですが・・・では、なぜまた・・・。』

『この前にね、異国の珍しい書物を届けて欲しいって、王宮に来た商人に頼んでおいたの。それがそろそろ届くんじゃないかと思って。』

『ですが、このような場所でお待ちになられなくとも・・・お部屋で待たれたほうが宜しいのでは?』

『すぐにでも読みたいのよ!お願い、わたしがここにいることは内緒にしていてね!』

好奇心旺盛で無邪気な姫君と聞いていた兵士だったが、まさにその通りだと思った。
幼い容姿をしている黄金の姫君はまるで今にも悪戯をするかのような・・・そんな顔をしている。


そして眠りに入った黄金の姫君をイズミル王子は愛おしそうに抱き寄せる。

自分の帰りを待っていたために、このような場所にいたのだと。


それを見ると、若い兵士はキャロルがここで待っていた一番の理由が『書物』なのだと言えなかった。

 


「姫、いい加減にせぬか!久しくそなたと共に過ごしておるというにそのように書物ばかり読むでない。」
「あんっ!王子ったら、せっかく読んでいたのに酷い!王子だって、いつも書物を呼んでいるじゃない!」

「あれは大事な書類なのだ。仕方ないであろう。」
「王子ったら、返してよ!」

自分そっちのけで、読みふけるキャロルにイズミル王子はとうとう痺れをきらしてキャロルから
書物を奪ってしまった。

キャロルは取り返そうと必死にイズミル王子にしがみつき、腕を伸ばすが届くはずもなく、
それにますますキャロルは膨れっ面の顔をした。

「書物などあとでいくらでも読めるであろう。今はわたしの相手を致せ。またいつこのように時間がとれるのか分からぬのだ。」


その一言に奪い返そうとしていたキャロルの力が緩んだ。



「まだ・・・お仕事、忙しいの?」


「ああ・・・。」


「・・・・・・。」


急に黙り俯いてしまったキャロルをイズミル王子はそのまま抱き締めた。
華奢な身体がすっぽりと腕の中におさめられる。

「じゃあ・・・今日はもう書物を読まないわ。王子とずっと過ごすの。」

「無論だ。では・・・。」

ふわりと空を浮いたかと思うと、キャロルはイズミル王子に抱えられていた。

「・・・・・・?どうして寝室に行くの・・・?」
「気にせずとも良い。」

いまいち状況を飲み込めていないキャロルにイズミル王子は苦笑しながらそのまま奥の部屋へと進んだ。
側に控えているムーラ達のことも忘れ、自分達の世界を作って消えていく二人を見やりながら、
この幸せがいつまでも続きますようにと心から祈った。


                                                                     Fin

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